お知らせやイベント、日々の出来事を綴った牧師によるブログ
2016.05.23
札幌の街にも美しいライラックの花が咲いています。
私はライラックが大好きです。
昨年教会の坂を上がり切った左側に、ライラックの苗を植えました。
札幌のシンボルともいえるこの花のことを皆さんはご存知でしょうか。
実はこの花 アメリカ人宣教師のサラ・スミス先生が
母国の故郷の自宅の庭から持ち運び
札幌の北星女学院(北星女子校・短大)の庭の植樹したのが始まりでした。
スミス先生のお兄さんは牧師をされていましたが
病気のため若くして天に召されました。
欧州で高度な教育を受けた教育者のスミス先生でしたが
お兄さんの遺志を継ぎ宣教師となり
我が国の東京に来られました。
しかし高温多湿の我が国の気候が合わず
リュウマチを患ってしまいました。
母国の宣教団体は療養 治療のため帰国を促しましたが
日本を愛するスミス先生は固辞し
故郷と比較的気候が似ている北海道へと来られたのです。
*最初は函館にある遺愛女子校で勤務。
当時はまだ女子が教育を受けることは希でしたが
少人数の塾のような形で女子教育が始まりました。
中には貧しい家から来られた生徒もいたようですが
スミス先生は一人ひとりを心から愛し接し
時には自分の給料を生徒の必要にすべて捧げたそうです。
1890年ライラックが初めて学校の庭に植樹されました。
それから多くの市民によって株分けされたライラックが
市内に植えられましたが、残念なことに戦時中は
敵国の木ということでほとんど伐採されてしまったそうです。
*何と愚かしいことか!
しかし戦後 ライラックを愛する多くの人々によって
ライラックは復活したのでした。
1880年29歳の時来日されたスミス先生は
80歳までのおおよそ半世紀
その愛と情熱のすべてを教え子たちに注ぎました。
多くの人々に惜しまれ帰国するスミス先生
何と帰国された時 着ていた服は50年前に来日された時と同じだったそうです。
帰国前 東京の教会で日曜日礼拝を守られました
そこで挨拶を頼まれたのですが
先生は講壇に登り聖書を開き 愛した言葉
「私は 自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。
ただ この一時に励んでいます。
すなわち うしろのものを忘れ
ひたむきに 前のものに向かって進み
キリスト・イエスにおいて 上に召してくださる
神の栄冠を得るために 目標目ざして一心に走っているのです。」
(ピリピ 3:13 14)
を読み、さっさと講壇から降りて来られたそうです。
スミス先生は1947年96歳の時に天に召されました。
札幌に住む人でも先生の名を知る人は少ないでしょう。
しかしライラックの花は美しく芳しく咲き乱れ
今日多くの札幌市民に喜びを与えてくれているのです。