お知らせやイベント、日々の出来事を綴った牧師によるブログ
2017.01.23
先日NHKで十勝の開拓について取り扱われている番組を観て大変感動しました。
今日の十勝農業の発展は開拓者の汗と涙があったからこそです。
私も若き日に晩成で農業実習をしたことがありますが懐かしく思いました。
1883年「晩成社」は十勝帯広に入植しました。
中心メンバーであった依田勉三(静岡出身)は
若き日にスコットランドの宣教師と出会い英語を学び
その後慶応義塾に進学し 卒業後故郷で教員となりました。
もう一人のリーダー渡辺勝も又同じ宣教師に学び
信仰を持ち洗礼を受け熱心なクリスチャンとなり同じく教員となりました。
さらにもう一人のリーダーの鈴木銃太郎は明治学院*ミッションスクールに学び
その後神学校に進み牧師の資格を得ました。
そのように晩成社の中心人物はクリスチャンであったのです。
記録によりますと晩成社のメンバーたちは
1883年4月10日横浜を出港
14日に函館に入港しました。
上陸後陸路と海路の二つのグループに分かれて十勝帯広に向かいました。
その旅は多くの困難と労苦を極めましたが無事到着し
6月3日に地元のアイヌの方々を招き安着祝いの時を持ったそうです。
14戸28名のスタートでした。
しかしその後が大変でした。
バッタの襲来 蚊や蚋の異常発生 熊の猛威・・・。
開拓者の労苦は並大抵ではありませんでした。
そして十勝帯広に適した作物を探すことにも多くの時間を要しました。
依田勉三の言葉に「開墾の始めは豚と一つ鍋」という言葉があります。
*たまたま訪れた客が出された食事が豚の餌と間違えたそうです。
1932年晩成社は解散するのですが農業・酪農事業 水稲の成功
道路整備 水利事業 教育などへの貢献は甚大でした。
渡辺勝の妻のカツは晩成社の働きについて
「私たちの働きは 花咲爺さんの物語で言えば
ここ掘れワンワンの犬の役割です。
後に続く方々がここで幸いを掘り出してくれれば何よりです。」と回顧されたそうです。
私も28年前にまったくのゼロから
開拓伝道(教会設立)を始めましたが足元にも及びません。
十勝の美しい田園そして美味しい小豆のあんぱんを食べるとき
その陰には多くの汗と涙を流した開拓者がいたことを忘れてはなりませんね。