お知らせやイベント、日々の出来事を綴った牧師によるブログ
2017.07.31
以前米国宣教師のAさんの証をご本人から聞いたことがあります。
Aさんのご両親がクリスチャンで
お父さんは将来中国へ宣教師となって行く夢がありました。
神学校を卒業し その準備をされていたのですが
宣教団体から”不適格”ということで宣教師にはなれず
製鉄会社で働く労働者になりました。
そこで働きながら多くの人々に神様の愛について話され実践されました。
A宣教師が18歳になった時 徴兵のため*朝鮮戦争
日本に行くことになりました。
駅に見送りに来てくれたお父さんは 一冊の聖書を
汽車に乗り込むA宣教師に手渡しながら
「息子よ これを毎日読むことを約束してほしい」
と言われたそうです。
お父さんの顔を見ると 何と目に沢山の涙を浮かべていたそうです。
そしてそれが最初で最後のお父さんの泣く姿でした。
やがてA宣教師は来日し埼玉のキャンプ地に駐留していたのですが
仲間の米兵たちは毎晩のように酒に酔い 施設内では不品行が繰り返されていたそうです。
そんな中 A宣教師は真剣に聖書を読み
自分の内側にある醜い罪がわかり ある晩一人キャンプの演習場へ行き
神の前にひざまずき 悔い改めの祈りを捧げました。
「ですから 彼らの仲間になってはいけません。
あなたがたは 以前は暗やみでしたが 今は主にあって光となりました。
光の子どもらしく歩みなさい」(エペソ5:7.8)
この聖書の言葉がまさしくA宣教師の上に成就し
その後我が国で宣教師として大いなる働きをされました。
私自身の証ですが 私は5歳の時 東京の大田区にある教会幼稚園に入園しました。
礼拝中静かでなかったと思われますがよく外に出されたことを覚えています。
神様に反発していたのか みんながお祈りしているのに
一人目を開けてお祈りをしていない当時の写真などが今もアルバムにあります。
しかし今から60年近く前に確実に聖書の言葉が
その幼稚園の時に私の心に蒔かれていたと信じます。
中学生時代 牧師の息子がクラスに転向して来ました。
誠に今となっては恥ずかしい話ですがその彼を最初に殴ったのがこの者でした・・・。
*理由はまったくわかりません。
しかし後に親しい友人となり彼が行っている教会にも行き
自分の小遣いで初めて聖書なるものを買いました。
20歳の時デンマークへ行く時 その聖書も持って行き
数か月後に現地の教会の礼拝に行ったのですが
デンマーク語がさっぱりわからず 礼拝中はもっぱらその聖書を読んでいたのです。
そんな時 新約聖書の”種まきのたとえ”を通し
少しづつ聖書がわかるようになりました。
1974年の7月にデンマークへ行き9月に教会に通い始め11月に洗礼を受けました。
*ちなみに妻とは1980年の1月に出会い6月にプロポーズし
9月に結婚式を挙げました。
私ってこれと思ったら行動が早いタイプなんです・・・。
以上小さな証でした。