お知らせやイベント、日々の出来事を綴った牧師によるブログ
2019.01.29
教会の挙式の聖書朗読の時
新約聖書の第一コリント13章を読みます。
「愛は寛容であり親切です
愛は決してねたみません」と冒頭あります。
およそ二千年前にすでに
愛についての定義が記されていたということは
驚くべきことですね。
我が国は弥生時代でした。
さて「寛容」ということばを辞書で引きますと
「心が広くてよく受け入れること」
(角川辞典)とあります。
新約聖書の言語的な意味は
「対人関係においてその人の評価・結論をおそくする。」
と解釈することができます。
結婚をしていっしょに生活をしていくと
相手のいろいろな言動が気になるものです。
そして
「君は〇〇だな~」
「あなたこそ〇〇な人ね!」
とドンパチが始まり相手を裁き指摘 評価し
すぐにこういう人と結論を出してしまいやすいものです。
いかがでしょうか。
それは決して寛容な姿とは言えません。
人を真に愛するということは本当に難しいことです。
ところで聖書は
「神は愛である」と語っています。
すなわち
「神様は寛容なお方である」のです。
もし神が不寛容なお方であるならば
私などすぐに裁かれていたことでしょう。
「こんな人間はふさわしくない!」と。
今私が生かされ日々働くことができるのは
神の寛容と哀れみのゆえです。
神の愛に満たされて少しでも
寛容な人間になりたいと日々祈る者です。