PASTOR BLOG 牧師からのメッセージ

お知らせやイベント、日々の出来事を綴った牧師によるブログ

2019.07.09

私の祈り

「主は私の切なる願いを聞き

主は私の祈りを受け入れられる。」(詩編6:9)

私は45年前の今頃北欧デンマークにいました。

実は今その頃を懐かしんで当時の日記を少しづつ読み返しています。

20歳でしたが

「おっ以外に真面目に日本の政治や

社会のあり方について考えていたんだな~」

と思うことが日々記されていました。

当時はそのような自分と目先の楽しみのみを

追求して生きる自分がいました。

さてその秋に教会に行きはじめ信仰を持ち

11月に洗礼を受けたのですが

最初の祈りは悔い改めの祈りでした。

神様に近づけば近づくほど己の罪深さがわかり

涙とともに悔い改め祈りました。

それ以来日々の祈りが私の生活の一部となりました。

就職の時も結婚の時も神様の導きを求め祈りました。

試練の時もありました。

長女誕生時は妊娠八か月で急遽入院し

医者から「生死の可能性は50%

誕生後に障害が残る可能性も考えられます。」と言われました。

あの時も真剣に祈りました。

感謝なことに現在教会で”You raise me up”を歌っています。

その後牧師になる志が与えられ一人祈る時を持ちました。

当時あったちざきバラ園の駐車場で祈ったことを覚えています。

不思議ですねそれから25年後に教会が建ち

その教会の牧師になることなど

当時考えることもできませんでした。

神学大学へ妻と娘を連れて留学しましたが

住居のことや私の実力不足で

大学院の学位を取得することは難しいと思われました。

*英語で新約聖書が書かれたギリシャ語を学ぶことは

大変困難で試験はいつも再試・追試でした。

ある教授の指導によってある日から

大学の裏山に行って毎朝祈ることにしました。

マムシが出る山で実際私のルームメイトの

ミャンマーの方はマムシに咬まれ入院しました。

2年間祈り続け神様の恵みによって妻と娘の生活も守られ

私も修士号を得ることができました。

祈っていた父母もその後教会に行くようになり

洗礼を受けました。父は82歳の時でした。

その後の導きのためにも祈りました。

宣教師として海外へ行くか浜松で

教会を始めるか・・・そんな時一番心に平安があったのは

私の第二の故郷札幌に戻ることでした。

全くのゼロからのスタートでしたが30年間守られました。

10年前の今頃は妻と毎日曜日の夜

宮越屋さんの近くで共に祈りました。

当時教会建設に対し必ずしも賛成でない方々がいらしたからです。

建設許可を得るために一年くらいの時間が必要でした。

感謝なことに今は喜ばれています。

この9年間実に多くの方々が教会にいらしてくださり

祝福を祈ることができました。

そしてこの秋新しいチャペル建設という

ビジョンに向かって祈りを重ねています。

私の場合祈りがなかったら不平・不満・

つぶやきの人生であったと思います。

祈れるということはすばらしいことです。

「ですから あなたがたは癒されるために

互いに罪を言い表し 互いのために祈りなさい

正しい人の祈りは 働くと大きな力があります」

(ヤコブ5:16)

祈りたい方がいらっしゃれば是非教会にいらしてくださいね。