PASTOR BLOG 牧師からのメッセージ

お知らせやイベント、日々の出来事を綴った牧師によるブログ

2019.09.10

ライラックチャペル

ローズガーデンクライスト教会は別名

宗教法人 札幌大通教会 伏見礼拝堂です。

その大通教会がこの秋に小さなチャペルを建設中で

11月17日に献堂式(オープニング)をいたします。

(北1西18-1-46)

参加したい方見学したい方は

どうぞ遠慮なくおっしゃってください。

申し込み先

ajohno91@grace.ocn.ne.jp 大野まで。

なぜ教会名をライラックチャペルとしたか

ライラックと札幌の関係の由来を下記に書いてみました。

毎年初夏札幌の大通公園ではライラックまつりが開催されます。

公園を歩くときその美しさと香しい花の香りに心癒される方も多いのではないでしょうか。

さてライラックの花がこれほどまで札幌中に咲き広がり市の花に制定され

多くの人々にその姿と香りを通して癒しを与えている

そのきっかけとなったストーリーを知っている人は意外と少ないと思います。

北星女子中・高校の創始者サラ・クララ・スミス先生は1851年米国で誕生されました。

大学を卒業後さらに欧州で高度の教育を受けられ

米国の教育界で将来を嘱望されていましたが

牧師であったお兄さんが若くして病に倒れ天に召された出来事を通し

その意思を受け継がれて宣教師となられたのです。

スミス先生は29歳(1880年)の時に我が国にやって来られ当初東京で働かれていました。

しかし高温多湿の気候が体に合わず体調を崩され重いリュウマチを患ってしまいました。

本国の宣教団体から帰国療養を勧められましたが先生はそれを拒否され

米国の故郷に比較的気候の似ている北海道にやって来られました。

当時はまだ女子教育に対して理解は足りず受ける人は非常に稀な時代でした。

先生は当初函館(現在の遺愛高校)その後札幌に移り

小人数の塾のような形で女子教育がスタートしたのです。

先生は一人ひとりの子供たちのために祈り心から愛し

時には自分の給料さえも貧しい子供たちの必要のためにすべて捧げられたそうです。

1890年米国の自宅の庭からライラックを持ち帰り

現在の北星女子中・高校(南4西17)の庭に植樹されました。

その後卒業生などその美しさと香りに魅せられた人々によって株分けされ

札幌市内各地にライラックは広がって行ったのです。

悲しいことに戦時中は「敵国の木」という理由で

ほとんどのライラックは切り倒されてしまいましたが

戦後ライラックを愛する人々によって復活されました。

29歳の若さで来日されたスミス先生は80歳までのおよそ半世紀にわたり

その愛と情熱を女子教育と子どもたち一人ひとりに注ぎました。

まさしくイエスさまの教えのよう

神さまを愛し人々を愛し又仕えられたのです。

やがてスミス先生は引退し人々に惜しまれて帰国される日がやってきました。

何と帰国される時に着ていた服は50年前に来日されたときと同じ服であったそうです。

帰国前の最後の日曜礼拝を東京の教会で守られました。

ひと言挨拶を司会者から頼まれたとき先生は教会堂の講壇に静かに上り

最愛の聖書の言葉を朗読されました。

「兄弟たち。私は、自分がすでに捕えたなどと考えてはいません。

ただ一つのこと、すなわち、うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、

キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、

目標目指して走っているのです。」(新約ピりピ3:13、14)。

ただそれだけを読んでさっさと講壇から降りて来られたそうです。

スミス先生は半世紀にわたる働きのすべては

神さまの栄光のためであったとおっしゃりたかったのでしょう。

先生は1947年96歳で静かに天に召されて行かれました。

初夏にライラックの見てその香しい香りをどこかで嗅がれたならば

どうぞ皆さんかつてこの札幌という異国の地で懸命に生き

神さまの愛を伝え実践された一人の女性がいたことを

少しでも思い起こしていただけたらば幸いです。」

PS:最近youtubeに自分の証を載せました。

よろしければご覧ください。

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